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徳ある経営 西国無双と謳われた立花宗茂の生き様

2026年2月17日

今回は西国無双と絶賛された戦国武将
「立花宗茂」について
お話ししたいと思います。

立花宗茂は九州・大友家の家臣で
重臣・高橋紹運の長男として生まれ
こちらも重臣・立花道雪の養子となり
2人の父に育てられました。

そして宗茂の活躍を聞いた豊臣秀吉に

「その忠義も武勇も九州随一である」

と評価され、柳川8万石を与えられて
独立大名になりました。

その後、関ヶ原の戦いで
西軍についたことで改易になりますが
20年後に旧領の筑後柳川へ復帰。

宗茂は関ヶ原に西軍として参戦し
一度改易されてから旧領に復帰した
唯一の大名なのです。

晩年は島原の乱にも参陣し
総大将の松平信綱を輔佐をして
敵の夜襲を予告して当てるなど
戦略面の指揮を執りました。

立花宗茂は戦国の英傑である
豊臣秀吉、徳川家康に好かれ
2代将軍・徳川秀忠からも信頼を置かれて
旧領に復帰しています。
一体なぜなのでしょうか?

「名将言行録」では宗茂のことを

「人となり温純寛厚。徳ありて驕らず。
功ありて誇らず。人を用ふる、己に由る。
善に従ふ。流るるが如し。
奸臣を遠ざけ、奢侈を禁じ
民に撫するに恩を以てし
士を励ますに、義を以てす。
故に士、皆之が用たるを楽しめり。
其兵を用ふるや、奇正天性に出づ
故に攻めれば必ず取り、戦へば必ず勝てり」

と記しています。
戦上手だけではなく
常に温厚で誠実に人に接し
義理堅く正直な人物などから

「武士の中の武士」

とも呼ばれたそうです。

更に文武両道の名将で
多彩の技芸にも長けていた
文化人ともされています。

関ヶ原の戦い後に改易になった際は
各方面からの誘いを断るも

東の最強と呼ばれた本多忠勝

の推挙によって
徳川秀忠の御伽衆になりました。

そして誠実な人柄と
実直な生き方が評価され
柳川藩に復帰。
これまでの家臣を
呼び戻したとも
言われています。

このように、宗茂の生き様、在り方

「徳」に打たれた武士たち

が感銘を受け
敵味方関係なく影響を与えているのです。

信義を重んじ
逆境に屈せず
部下や領民を大切にし
公のために尽くす

立花宗茂の生き様は
単なる武将の成功譚ではなく

「人としてどう生きるべきか」

を教えてくれます。

その精神は現代の経営においても
重要な指針となります。

短期的な利益追求ではなく
信義を重んじ、部下を育て
社会に貢献する『徳ある経営』
を実践することが
結果として企業の繁栄にも
つながるのではないでしょうか。

立花宗茂の精神を現代に活かし
『徳』を大切にすることで
より良い社会と組織を
築いていきたいものです。