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歴史に学ぶ経営学 平清盛

2023年4月21日

平安時代
日本で初めての武家政権を樹立。
日宋貿易で多大な利益を上げ
平家の最盛期を築いた
伊勢平氏の棟梁・平清盛。

源氏に敗北し
滅亡した平家のイメージから
あまり良いイメージを持たれていない
こともあるようですが
かなり先進的なことをしています。

平安時代の武士という
低い身分から
太政大臣という最高の位に就き

「平家にあらずんば人にあらず」

などと言われるまでのし上がった
清盛はどのような戦略で
行動していたのでしょうか?

 

伊勢平氏の棟梁・平忠盛の
子として生まれた清盛は
安芸守に任じられます。
厳島神社を造営し
瀬戸内海の制海権を手にして
父・忠盛の日宋貿易を
引き継ぎ莫大な利益を上げました。
これが平氏の基盤となったのです。

その後、天皇家や藤原家の
跡取り争いである
保元の乱
が勃発。
後白河天皇側についた清盛は
更に力をつけました。

更にその3年後
保元の乱で権力を手にした信西
独裁政権を始め
恨みを持った源氏の棟梁
源義朝藤原信頼が手を組み
清盛の留守を狙って
平治の乱
を起こします。

信西は襲撃を受け
隠れましたが見つかり自害。
すぐに京都に駆けつけた清盛は
後白河上皇を助け出し
義朝を襲撃し敗走させ
信頼は斬首。
義朝は東国に逃げている際に
家臣に裏切られ殺害されました。

この戦いで政敵がいなくなり
自らの地位を盤石にした清盛は
妹や娘を皇室や摂関家に
嫁入りさせて急速に勢力を拡大。
朝廷での権威を強め
遂に太政大臣
(律令制度における最高位の役職)
に任命されました。

その後、清盛は福原
(現在の兵庫県神戸市)
に別荘を造営し
日宋貿易の拡大に専念。
更なる財貨を手にしました。

こうなると清盛や平家に
反感を持つ貴族や武士が増え
後白河上皇と陰謀を巡らします。
しかしこれはすぐに露見し
清盛は関わっていたものを処罰。
後白河上皇をも幽閉しました。

自分の娘・徳子を
高倉天皇に嫁がせ
生まれた安徳天皇を即位。
安徳天皇の外戚として
政治の実験を握ったのです。

これにより皇位への望みが
なくなった以仁王は
平家討伐の令旨を全国に送ります。
各地で源氏武士や
寺社勢力が挙兵すると
清盛は京都では守りにくい
ということもあり
福原へ遷都を強行します。
これは平氏政権による
「福原幕府」を考えていたのかもしれません。

しかし源氏との戦いが激しくなる中
清盛は病死。
享年64でした。

そこからは平家は敗退が続き
西に追いやられ
遂に壇ノ浦の戦いで滅亡。
どんなに栄華を誇っても
最後は必ず滅びるということで
平家物語でも描かれていますね。

このような平清盛の人生から
学べることは

 

常識(古いしきたり)に囚われない
清盛は平安時代の摂関政治など
古いしきたりにとらわれず
また、武士が土地を基本で
考えている時代に
「お金」というものを利用しました。
その時の常識を破り
新しい文化を作り
未来を切り開いていったのです。

グローバルな視点を持つ
この時代は土地やお米を
どのように手に入れるか
という時代でしたが
清盛は日宋貿易に力を入れ
莫大な利益をあげました。
幕末に坂本龍馬が
やろうとしていたことを
800年以上前から
行っていたことになります。

組織を強固にする戦略
平清盛の大胆な行動と発想
そして周りへの気配りにより
平家はどんどん勢力を広げ
最盛期には日本の土地の半分を
平家が収めていたとも言われています。
先を見据えて組織を強くする戦略。
経営においては
とても大事なことだと思います。

 

歴史の偉人から学べることはたくさんあります。
是非歴史を学び
ご自分の経営に活かしてください。