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歴史に学ぶ経営学 徳川家康

2023年3月10日

戦乱の世に終止符を打ち
江戸徳川幕府を創建。
世にも稀な260年もの
平和の世の礎を築いた
戦国三英傑の一人です。

現在は松本潤さん主演で
大河ドラマでも放映中ですね。

徳川四天王や
徳川十六神将など
たくさんの有能な家臣がおり
強固な組織作りが見えてきます。

家康は一体どのようにして
天下を取り、組織を作って
徳川幕府を開いたのでしょうか?

 

三河に勢力を広げていた松平家
西に織田家、東に今川家に挟まれ
生存のために今川家に属していました。
そのため徳川家康の少年時代は
今川家の人質でした。

しかし今川義元桶狭間の戦い
織田信長に討ち取られると
家康は今川家から独立。
織田信長と同盟を結びました。

しかしここで家臣との
内部分裂が起きます。
三河一向一揆が起きるのです。
家臣の中に一向宗の門徒がおり
一揆側に立ったのです。

なんとか一揆を収束した家康は
一揆側についた家臣を許しました。
後に徳川幕府の重臣となる
本田正信もその一人でした。

その後、信長の同盟相手として
勢力を広げていった家康でしたが
武田信玄
三方原の戦いで敗北。
たくさんの家臣を失い
その悔しさを忘れないよう
自分の絵を描かせたのでした。

そして長篠の戦いで武田勝頼に勝利し
とうとう武田家を滅ぼしました。
この時、武田の赤備と呼ばれた
最強騎馬軍団を取り込み
四天王の井伊直政に率いさせたのです。

しかし信長が本能寺の変で討死。
大阪にいた家康は伊賀を超え
なんとか三河に辿り着きました。

その後、信長の跡を継いだ
羽柴秀吉と家康は対立。
小牧長久手の戦いで
互角の戦いを見せるも
最終的には秀吉の傘下に入りました。

秀吉が小田原討伐で北条氏を滅ぼすと
家康が関東に入ることになり
ここで江戸城を本拠地としました。

秀吉が天下を平定し
世の中は平和になりましたが
秀吉が亡くなると
豊臣家を守る石田三成
家康が対立。
関ヶ原の戦いが起きました。

これに勝利した家康は
徳川幕府を起こし
最後は大坂の陣で豊臣家を滅ぼし
1616年に亡くなりました。

 

このような家康の人生から
学べることは

忍耐力
家康は数々の苦難を乗り越え
最後には天下を取りました。
経営でも苦難はたくさんあります。
しかしそこは耐え忍び
チャンスが来た時の準備を
しておくことが肝要です。

失敗から学ぶ、敵からも学ぶ
家康は武田信玄に敗北し
悔しさをバネにして天下を取りました。
そして信玄から戦い方も学びました。
信長から組織の脆さを学び
秀吉から死後の組織運営の
弱点も学んだのです。
そしてそれを江戸幕府に反映さえ
260年の平和を築いたのです。

寛容な心と器
織田信長は反抗した者は
容赦無く切り捨てていきました。
しかし家康は戦った相手を許し
自分の組織に組み込んでいきました。
三河一行一揆では家臣を許し
今川家、武田家、北条家など
滅ぼされた大名家から
有能な武将を家臣にし
強固な組織を作っていったのです。

徳川家康から学べることはたくさんあります。
是非歴史を学び
ご自分の経営に活かしてください。